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議論の場における振る舞いに対する雑感

特に何かあったわけではないが、ミーティングなどの議論の場における振る舞いについて考える機会があった。自分がどんなことを考えながら、そういう場に臨んでいるかを言語化してみる。他にも色々考えているし、この考え方で完璧とも思っていないが、とりあえず思考をダンプしてみる。

前提として、ミーティングなどの議論の場においては、何かしらの目的がある(はずである)。これを踏まえて、どのように目的を達成するか や (目的を達成する手段が複数存在する場合は) どの手段が "よりよく" 目的を達成できるかについて議論する。"よりよく" という部分について、どのような評価軸で構成されるかやそれぞれの優先度について議論することもあるだろう。

議論において、参加者同士の意見が対立することもあるが、意見の対立自体を否定することはない。意見の対立に関しては、止揚 (aufheben) の概念を踏まえて、必要なものだと考えている。

止揚(シヨウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

低い次元で矛盾対立する二つの概念や事物を、いっそう高次の段階に高めて、新しい調和と秩序のもとに統一すること

止揚 (aufheben) が実践されるとしたら、A と B という意見が対立した時に、議論を重ねて A'(B') や C という方針に昇華されるはずである。

もう一歩踏み込むと、"議論を重ねて A'(B') や C という方針に昇華させる" 場を作ることが重要と考えている。意見の対立構造がない場合、より良い方針になる機会を逃している可能性があるからだ。もちろん、反対意見を無理に作って、ぶつけましょうということではない。Aが完璧なのであれば、それを採用すればいいだろう。

では、より良い方針になる機会を逃す要因が何かというと議論の場における "意見の受容が十分でない" 状態がその一つだと考えている。これが全てではないだろうが、こういった状態が原因で議論が停滞するのを見聞きすることが何回かある。

例えば、A と B という意見が対立して、議論を重ねて A' という方針に昇華されたとする。この場合、B という議論は事実上排除されている。議論の流れとしては、B の意見を A と比較して (議論における評価軸を踏まえて) Aが優れていることが明らかになり、A を採用しましょうとなったはずである。この場合に、B の意見を挙げた人の立場で考えてみる。「Disagree & Commit」の考え方が定着しているのであれば、その方針の実現にあたっては気にすることはないかもしれない。一方で、意見を出した時に、他者からの訂正・否定によって、心理的圧迫感や不満を持つことはあるだろう。これは、「Disagree & Commit」とは独立して考えるべきことである。この時に、意見が受容されていないと感じてしまうと、他の意見が出てこなくなったり、将来的にその相手から意見を引き出すのが難しくなるという状態につながる可能性がある。

では、何をどこまでやれば "意見の受容が十分" といえるのか? というと難しいな〜というのが正直な感想である。一方で、議論の一参加者としてできるアクションとしては、あなたの意見を受容していますよという明確な意思表明や、「xxの点については否定をしていません」という明確な線引きをすることだと思う。言葉の受け取り方は人それぞれで矯正できるものではないので、明確にこうですと受け取ってもらえる言葉遣いが重要になると考えている。こういった工夫をすることで、議論を重ねて意見を方針として昇華させるという行為がやりやすくなるのではないか。

一方で、受け手? 側も意識すべきことはあると思っている。議論の場とは少し違うが、1on1のような場を例に考えてみる。相手に対して何かしらのフィードバックをしたとして、相手の中で勝手に反省点を「要約」されてしまった時に、それが間違ってるとわかったらその内容を訂正・否定することがあるだろう。こういった場合は、"訂正・否定" が必要な状態を相手自身が生み出してしまったともいえる。

誰か一人の責務ではなく、意見を出す側も含めた議論の場に参加する人間としてできることは色々あるな〜と今は考えている。

皆さんは議論の場における振る舞いに関して、工夫していることはありますか?